泡瀬干潟・海域埋立とトカゲハゼの保全

吉野哲夫・琉球大学理学部助教授

 

1.   トカゲハゼの生息している泥質干潟

 

沖縄本島の東海岸には干潮時に干上がる泥質の干潟が見られる。中城湾南部の佐敷干潟、うるま市の川田干潟(現在埋立られて新港地区になり、人工干潟が創られている)、沖縄市の泡瀬干潟などにはこのような泥質干潟が発達しており、他の場所とは異なった海岸の景観が広がっている。ふつう沖縄の海岸といえば白砂の広がるビーチを連想しがちだが、このような泥底の浜も埋立などで少なくなってしまったが、一部に残っている。

 

2.   トカゲハゼはムツゴロウの近縁種

 

 干潟といえば九州の有明海に見られるムツゴロウやトビハゼなどの愛嬌のある魚たちを思い浮かべる人も多いと思う。このような泥質干潟には独特な生物たちが生活しており、中城湾もその例外ではない。ここでは有明海のムツゴロウに相当するものとしてトカゲハゼというハゼ科の魚が分布しており、分類学上もムツゴロウと近縁であるだけでなく干潟上での生活の様子もきわめて良く似ている。

 トカゲハゼという名前(和名)はムツゴロウのように地元の人が古くから愛称として用いていたものではなく、文献上の記述や図からイメージで魚類学者が名づけたもののようである。というのも、地元ではこの魚についての認識はなく、泥干潟上で見られるトビハゼなどと一緒に「トントンミー」と総称される他に特別な方言名もなかった。そのうえ、トカゲハゼが日本に分布することは1975年になるまで日本の学会では疑問視されていて、それまでに研究者ですら国内で生きている姿を見た者はほとんどいなかった。

 

3.   トカゲハゼの分布

 

 トカゲハゼの仲間(同属の魚類)は世界中で4種知られている。その中でもトカゲハゼは最も分布が広く、国外ではパキスタンから中国南部・台湾・オーストラリア北部に及ぶ熱帯域に分布の中心持つ種と考えられている。不思議なことに日本国内でのこれまでの調査では中城湾や大浦湾奥部以外では確認されておらず、より台湾に近い宮古や八重山からは見つかっていない。そのような理由で沖縄島が世界的な分布の北限であり、国内での唯一の生息地ということになる。沖縄島の中でも大浦湾奥部は最近見つかった場所であり、個体数もきわめて少ない。そのことからも中城湾が本種の日本における重要な生息地域であると言えよう

 なぜこのような分布をするのかについては、まだわかっていない。彼らの生活の場がマングローブ湿地ではなく、内湾の奥に開けた泥質干潟にあることと関係しているのかもしれない。いずれにしても分布上の特性や近年の生息場所の環境変化などを考慮して、トカゲハゼは環境省および沖縄県のレッドデータブックで絶滅危惧種(絶滅危惧IA類)にランクされている。

 

4.トカゲハゼの干潟上での生活と産卵期

 

 潮のひいた干潟にはトビハゼ類などの魚類やヒメヤマトオサガニなどのカニ類が現われ、一斉にえさを食べ始める。それらに混じってトカゲハゼも干潟に掘った孔から姿を現し、泥の表面で活動を開始する。もちろんトカゲハゼは水中でも生活できるが、活動は干潮時が中心で、陸から双眼鏡で観察が可能な水陸両生の魚といえる。このような水陸両生の魚としてはほかにムツゴロウやトビハゼ類が知られている。えさは微小な藻類を食べるムツゴロウとは異なり、トカゲハゼは泥の表面近くにいる小型の動物を食べている。

 トカゲハゼの産卵期は毎年4月〜6月で、4月下旬から5月にかけてが産卵のピークと考えられる。この頃には孔の中の産卵室に産みつけた卵が見られ、雌雄ペアー(時には雄のみ)で卵を保護する。つがいを形成するのはもう少し早く、雄は自分をアピールするために、孔の近くで盛んにジャンプするのが見られる。干潟の上では近くに寄ってきた他のトカゲハゼ、トビハゼやカニ類を追い払ってなわばりを守る。卵から孵化した仔魚は下げ潮によって運ばれて中城湾に広がり、約1ヶ月の浮遊生活期間を経た後に再び干潟に戻って来る。およそ1年で成熟し、翌年には繁殖に参加する。本種の寿命はおよそ3年と推定されるが、繁殖の主体は2歳魚と考えられる。

 

5.干潟の環境変化とトカゲハゼ

 

 このような動物たちの楽園である干潟も最近では生活廃水や畜舎廃水、不法投棄されたゴミの影響下におかれ、さらには埋め立ての危険にさらされている。1980年代初頭での中城湾川田干潟(現新港地区)には約1,000尾のトカゲハゼ成魚が見られたが、新港地区の埋立(1984年開始)とともに減少し、第二次埋立後の1994年には数十尾まで激減した。その後、人工増殖・放流および人工干潟の造成などの緊急保全措置がとられた結果、絶滅という最悪の事態は回避された。最近の調査では、中城湾全体でトカゲハゼ成魚の個体数は1,6002,700尾程度である。しかし新港地区での生息場所はその大部分を人工干潟で占めており、天然生息場所はきわめて限られている。トカゲハゼの生息する干潟の泥は、背後の島尻層にある「クチャ」(粘土とシルトの中間的な堆積物)から雨水などで自然に供給されていたが、流入水路を機械的に整備した結果、最近ではその供給も限られたものとなっている。消失した干潟を補う措置として造成された人工干潟では造成時には航路から浚渫された泥を使用しているが、そのままでは泥が流出するだけであり、人間による適切な維持・管理をしない限り正常な干潟の機能を消失する。

トカゲハゼ以外でもシオマネキやオキナワヤワラガニなど、国内ではここ以外ではきわめて限られた分布をするカニ類や貝類などがいることが最近になって発表された。沖縄の泥質干潟のユニークな点については、最近になってやっと注目されだした段階である。中城湾はそのような生物が多産するかけがえのない場所であり、学術的な面からも貴重視されている。干潟は潮干狩りなどの人が海とふれあうことのできる重要なレクレーションの場でもあり、かけがえのない自然である。さらに渡り鳥の休息地・越冬地としての意義は言うまでもない。干潟生物の生活環境を保全していくことは、今後ますます必要となっている。

 

6.中城湾港(泡瀬地区)公有水面埋立事業に係る環境影響評価書(以下、アセス書)でのトカゲハゼの保全について

 

 アセス書「第6章環境保全措置」のなかの「5.動物・植物」でトカゲハゼの保全については「Cトカゲハゼ生息圏への配慮」が記されている。以下その要点を記す。

  仔魚の行動時期の47月の海上工事は仔魚の分散に支障を及ぼさない工事にとどめ、仔魚の着底の6〜7月は、浚渫工事、汚濁防止膜の展張の海上工事は行わない。

  トカゲハゼの仔魚の拡散、着底等にたいする埋立地の存在の影響の低減。

  トカゲハゼの現状の生息地での地形改変はないが、トカゲハゼの直接的な生息地とはなっていない干潟域の一部が埋立事業により消失するため、埋立地南西側に人工干潟を創造し、トカゲハゼの生息環境の保全拡大に努める。人工干潟造成に関しては、新港地区において成功している泥質による人工干潟の実績をも考慮して、慎重に進める。

 

7.アセス書に示されているトカゲハゼの保全については多くの問題点がある。

 

 以下、その問題点の要点を記す。

(1)    新港地区における人工干潟でのトカゲハゼの保全は「成功」して

いない。

新港地区はかって川田干潟と呼ばれ、中城湾内で、佐敷干潟につぐトカゲハゼの生息地であったが埋立により激減した(埋立前の1990年10月の565尾から、1994年9月の18尾まで激減した)。現在、人工干潟を造成し、トカゲハゼの人工増殖で得たトカゲハゼの稚魚を放流してその保全を図るなどをして激減したトカゲハゼを埋立前の約2倍の1000尾程度まで回復維持を図っているが、平成12年(2000年)から現在までトカゲハゼの生息個体数の現状維持をするだけである。また、造成された人工干潟での生息数も造成地(AH)により生息数の大きな違いがあり、人工干潟造成の難しさを示している。現状維持を図るために、人工干潟の維持管理、トカゲハゼの人工増殖、放流を永久に続けなければならず、その保障がなされていない。新港地区での稚魚の増殖・放流事業も平成17年度が最後である。また、トカゲハゼの人工増殖は18年度は行われておらず、次年度の保全の予算は計上されていない。なおトカゲハゼの人工増殖技術も未だ確立したものではないことを明記しなければならない。さらに平成20年度以降は、新港地区のトカゲハゼの保全の取り組みが現在の企業立地推進課から、港湾課に移されるが、保全措置についての展望、具体的な計画が定かではない。

(2)    アセス書で人工干潟造成が記述されているが、当初予定されてい

た「埋立地南西側」がトカゲハゼ保全の適地にはならず、埋立地北西側の「深堀れ地」側に変更され、なお適地となるための条件が検討されなければならないなど、人工干潟造成の課題は多い。仮に人工干潟が造成されたとしても、その場所でトカゲハゼが生息できる保障はない。

また、人工干潟の維持管理(泥の補給維持)、トカゲハゼの保全(人工増殖、放流)等には莫大な費用が必要であり、工事終了後の予算的保障はない。

(3)    新港地区での人工干潟でのトカゲハゼ保全は「成功」していると

いいながら、泡瀬地区での新たに造成する人工干潟のために、現在の生息地の土地改良を行うなど、人工干潟でのトカゲハゼの生息環境も未知の部分が多い。

(4)泡瀬干潟の泥質干潟でのトカゲハゼ生息数は1989年(平成元年)の6尾から、工事着工(海草移植、海上工事等)前の2001年9月、21尾の範囲を推移しているが、工事着工後は2003年4月生息数が確認されないなど減少傾向にある。2006年3月、12尾と若干回復しているが、今後の本格的な工事の進行により、その生息が危ぶまれる。

 

8.人工干潟におけるトカゲハゼの保全

 

 平成17年度中城湾港新港地区トカゲハゼ生息状況等監視調査委託 報告書(沖縄県観光商工部企業立地推進課、国土環境株式会社、平成183月)の「4.要約」の(1)トカゲハゼの生息状況にFの次の記述がある。

F新港地区におけるトカゲハゼ資源の回復と維持を図るためには、トカゲハゼ繁殖期における工程・工法上の配慮、人工造成地を含めた泥質性干潟の保全、人工増殖技術開発による資源回復措置ならびに適切な監視調査が今後とも有効に実施される必要がある。

また、(2)試験造成地の環境、Dに次の記述がある。

D試験造成地が、トカゲハゼの生息場として機能を維持するために、後背湿地帯におけるマングローブの育成、泥の補給、排水路の埋没修復、底質還元化・ゴミの堆積の監視、テラピアによる泥面掘削被害の監視、生物相互関係の解明等に留意しながら持続可能な管理を継続していく必要がある。

 

 以上の記述に明らかなように、人工干潟の造成・維持管理、人工干潟でのトカゲハゼの保全には継続した膨大な費用・時間を要するのみならず、解決しなければならない課題も多い。

 埋立工事期間中は予算の配慮はあるが、工事終了後にはこのような保全に要する予算的保障はない。

 新港地区におけるトカゲハゼの保全が、工事終了とともに予算削減、人工増殖の廃止(既に平成18年度から廃止)などがあり、トカゲハゼの保全が危ぶまれている。泡瀬地区における人工干潟造成によるトカゲハゼ保全も極めて厳しいことが想定される。

 

9.埋立回避、周辺環境の整備によるトカゲハゼの保全を行う必要性。

 

 トカゲハゼは絶滅危惧TA類に位置づけられるきわめて貴重な生物である。その生息地が失われつつある現在、泡瀬干潟の生息地を保全することは緊急で大きな課題である。埋立を回避し、現在の自然生息地(泥干潟)の保全に取り組むことが求められる。

 

資料1.アセス書(6−T〜64

資料2.トカゲハゼの写真(小橋川共男撮影写真)

資料3.トカゲハゼの分布(トカゲハゼのはなし、沖縄県広報冊子)

資料4.平成17年度中城湾港新港地区トカゲハゼ生息状況等監視調査委託 報告書(沖縄県観光商工部企業立地推進課、国土環境株式会社、平成183月)

資料5.人工干潟造成地(人工島環境整備専門部会資料 概要版)