意見陳述 泡瀬干潟と私
泡瀬干潟を守る連絡会の事務局次長、屋良朝敏
わたしは泡瀬干潟を守る連絡会の事務局次長の屋良朝敏と申します。
今、東海岸の干潟ではイイダコの最盛期です。この漁法は白黒模様のイモガイを約20センチ間隔に5個くらい数珠つなぎにし、カウボーイの投げ縄のように投げゆっくりと引くと、イイダコが貝にしがみついてくるものです。泡瀬でも干潮時に多くのイイダコ採り人がいます。イイダコ採りのルーツは平安座島あたりだと言われており、これも沖縄の海の季節の風物詩であり海洋文化といえるでしょう。その他泡瀬でも冬から春にかけてアーサ、モズクが採れます。4月は浜下りもありますが、泡瀬では年中潮干狩りをする人がいます。
わたしと泡瀬干潟との出会いは、2001年2月の干潟観察会に参加し、泡瀬通信基地鉄塔の向かいの白砂地点まで行き干潟の自然に触れたのが最初でした。そのとき「この自然は是非守らなければならない。」と直感したのです。そして、ボランティアの気持ちでかかわるうちに泡瀬干潟の豊かさを知ったのです。
私も魚釣りが好きで沖縄の海は方々行きました。しかし、泡瀬にはわたしの知らない自然がどんどん出てくるのです。これまで干潟の特徴を知らなかったからだと思います。沖縄の人でも青い海、白い砂、サンゴ礁という概念が強く、干潟になじみがなく、学校でも教えてこなかったのでしょう。
わたしが中学生の頃、友達とバイトの帰り那覇市若狭の工事用の砂置き場で砂に混じった大きな貝がありまして、その貝の甲と甲をメンコのようにぶつけ合って遊びました。その貝が泡瀬にもいるリュウキュウサルボウだったのではないかと思います。その大きさ格好が似ているのです。昔の思い出と泡瀬が繋がりました。県のレッドデータブックの「準絶滅危惧種」に記載されるリュウキュウサルボウがこんなに普通に大量に棲んでいるのは琉球列島でも泡瀬だけでしょう。
わたしが小学生のころ、父親はオーストラリアに真珠貝の出稼ぎに行って海の事故で亡くなったのですが、父親が眠るアラフラ海の木曜島周辺にもジュゴンがいます。沖縄のジュゴンも泡瀬に海草を食べに来ていると思います。オーストラリアからムナグロとベニアジサシが泡瀬にもやってきます。全部つながっているのです。
その父親が佃煮事業をやるとかで中城の海辺のそばの借家に連れて行かれたのを覚えています。何を具に佃煮を作ろうとしていたのか知りませんが案外イイダコも入っていたかもしれません。父の友人の話によれば津堅島から久高島まで泳いで渡ったこともあったそうです。
私のDNAの形成には干潟の生き物が関与しています。私の出身は父母とも那覇市泊と通堂(トゥンドウ)で昔は今の総合事務局あたりは干潟で前島小学校から58号線にかけての一帯は塩田でした。そこにはミナミコメツキガニやいまの泡瀬の生き物たちがきっといたはずです。私の祖先は干潟の恵みを採ってきたのです。そのような原風景が現在も残された泡瀬干潟は奇跡といえるでしょう。都市の近場にあるこのような自然豊かで生物多様性に富んだ泡瀬干潟こそ国や沖縄県、沖縄市はこの埋め立てを見直し、ラムサール条約に登録し残すべきだと思います。
沖縄県が12月から着手するC護岸のとなりの浅海域の白砂の上にはウミエラという八方サンゴの一種で神秘的でめずらしい生き物が立っています。沖縄県は白砂とウミエラ、県自らレッドデータで示した貴重種の貝や海草もろとも浚渫し、矢板で囲った中へ投げ入れていく計画をしています。これは正常な人間なら驚愕する行為です。この失われる価値は大変高く、埋め立てにより仮に消えることになる1貴重種があれば、その貴重種は国家予算全部つぎ込んでも復元できないくらい価値のあるものだと思います。
沖縄本島は西崎町、豊崎タウン、潮崎、東浜タウンと十分埋め立てられており泡瀬近傍にも現埋め立て計画の約2倍の面積がある新港地区とフリートレードゾーンがあり、その活用は今からです。「基地があるから海に展開せざるをえない」という大きな埋め立ての理由も基地再編の動きのなか再度見極めていく必要があります。
3月に沖縄県が委嘱した外部包括監査人の監査報告も「第三者」の見地から東部海浜開発の泡瀬干潟埋め立て事業には抜本的見直しを提言しており、埋め立て事業の破綻は経済的にも証明されています。
泡瀬干潟埋め立ては、開発と自然保護とを天秤にかけ将来に禍根を残さない公正な判断が求められています。